小野 湖山 おの こざん
   

快日明窓閑来時試墨
寒泉古鼎静裡自煎茶
戌寅清明節
快日明窓 閑きたりて時に試墨
寒泉古鼎 静かな裡に自ら煎茶
   
清明節=二十四気の一つ。四月五日ごろ。陰暦三月の節で、春分後十五日目に当たる。この節になると、すべての物がみな新鮮で、多くの花が咲く好時節になるということから、この名がある。
145p×16p×2

文化11年1月20日(新暦 1814年3月11日)生〜明治43年(1910)4月10日歿
制作年  明治11年(1878) 65歳
 本姓は横山、名は巻、字は懐之。のちに姓を小野、名を長愿、字を舒公・士達・侗翁と改めた。号は湖山・晏齋・狂狂生・玉池仙史。近江国(滋賀県)東浅井郡田根村の人。18歳のとき初めて江戸に出て梁川星巌の門にはいり、藤森弘庵に師事する。そのころから天下に詩人として名を知られた。藤田東湖と親交を深める。
 明冶になって、同門の大沼枕山、森春涛とともに、一時日本の漢詩壇を支配し、その作品は数千種におよんでいる。『湖山楼詩鈔』『湖山楼十種』『賜硯楼詩』などの詩集があり、自ら唐の白居易を宗とするといっているが、むしろ宋の陸游の詩風に近い。
 湖山は青年時代から経世の志があって、国事に奔走し、勤王の諸士と往来した。したがって当時の作品には、悲憤調のものが少なくない。
 アヘン戦争の風聞をきいて、その実情を伝えた『乍浦集詠鈔』を刊行し、世人を目覚めさせたことなどは、彼の面目躍如たるものがある。
 1883年明治天皇から勤王の功を賞され硯をもらった。
 「湖山醉翁」の下に、白文の「長愿和印」、同じく白文の「安分以養福」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://www.ccv.ne.jp/home/tohou/sen2.htm
http://www.kitaomi.com/men/AZ1003.html
http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/kanshi/mado/onokozan-jiku1.html
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-207.html



識箱 永坂石埭(1845−1924)

 名は周二。字は希壮。号を石埭。別号を「玉池星舫夢楼斜庵」「又一桂堂」。尾張名古屋の人。詩文を愛し、森春涛・鷲津毅堂に学ぶ。春涛門下の四天王の一と称された。神田松坂町(俗称お玉ケ池)の梁川星巌の旧宅を求めて、「玉池仙館」と称し中国文人風で中国趣味を凝らし、多くの文人・墨客が出入した。詩の他に書を能くし南画を修め、詩書画三絶の雅名を恣にした。


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