莊 厳 そう・げん

坐高月小木葉盡脱
高に坐すれば月小にして、木葉脱し尽くす。
水流華開清露未唏
水流れ花開き、清露未だ唏(かわ)かず。
35.5p×171p聨

   
光緒25年(1899)生〜民国69年(1980)歿
製作年  不明
 字は嘉陵、号は六一翁、北京時代は荘尚厳と称し、北京生まれ。北京大学哲学系で蔡元培に学んだ。卒業後、母校の国学研究所および国立古物保存委員会に兼務したが、まもなく清室善後委員会で清宮の文物の調査に従事するようになり、1925年10月10日、故宮博物院が成立すると、当院の古物館科長に任ぜられた。そして1948年12月に故宮の文物を護送して台湾に渡り、以来1969年に台北故宮博物院副院長として退職するまで、45年間故宮博物院に勤務した。
 また、台湾大学、東海大学、台湾師範大学等の教授を歴任して主に書法と美術史を教え、故宮退職後は中国文化学院に新設された芸術研究所の所長に専任したが、腸癌のために1980年3月12日に逝去した。
 彼はわが国にも文墨の縁があり、1922年に北京大学と東京帝国大学との交換留学生協定が結ばれた際にその第1回交換学生として留学しており、1955年には中国文化教育代表団の代表として、また1962年には中華民国書法訪問団の一員として来日している。
 書は初め褚遂良を学び、後に痩金書と趙子昂に心酔し、晩年仁は北斉の唐邕写経碑および水牛山刻石を最も好んだ。その人と為りは、明朗で親しみやすくユーモアがあり、酒を飲んで談笑することを好み、一方、名利には恬淡としていたという。

参考文献一覧      HOME