朱祖謀 しゅ・そぼう

罽賓正宗傳芳季緒
 
経部妙義接紐明時
 
28p×120p聨

咸豊7年(1857)生〜民国20年(1931)歿
製作年  1922年(66歳)
 本名孝藏、字は藿生、一の字は古微、号は嘔尹、また彊村という。浙江省帰安の人。かれは幼にして奇異、。長じて博雅、よく文学をもって聞こえた。光緒9年(1883)の進士、庶吉士に改められ、編修を授けられ、侍講学士に歴官した。義和団の乱においてはかれは董福の恃み難きを力争した。連合軍が京師に攻め入ると両宮倉皇として西に蒙塵し、内閣學±に遷された。車駕が北京に返るや禮部侍郎と擢んでられ吏部を兼ねた。また広東の学政として出仕した。宣統紀元(1909)に弼徳院が設けられたとき、顧問大臣を授けられたが遂に赴かなかった。
 民国以来終始上海に隠居し、その生涯を終わった。かれは始めは詩を以って知られたがのち王鵬運と交わるに及んでは一切詩をすてて詞に傾注した。独立独詣、古人と頡頏して起つの風概があった。
 唐、宋、金、元163家の詞を輯めて丁寧に善本と校勘し「彊村叢書」(朱氏家刻本)40冊、と命名して付梓した。.そのほか「湖川詞徴」24巻、「國朝湖川詞徴」6巻、という輯本がある。またその著稿「語業」3巻、「棄稿」1巻、「詞莂」1巻、「定本雲謡集」1巻、『定本夢窗詞集」不分巻、『滄海遺音集」13巻、また集外詞1巻、遺文1巻など皆かれが生前に龍沐によって「彊村遺書」として彙刊された。かれが晩年上海虹口東の寓に隠れながらも、陳洵、倹頗d、趙尊獄等一時の詞才と交わり詞学のために貢献したことも大きい。


参考文献一覧      HOME