樊増祥 はん・ぞうしょう

雙漿西湖夜露有情於芍薬
 漿(米のとぎ汁)を双べたような西湖の夜は 露に情有りて芍薬たり。
六銖親襲春風無處不楊花
 六銖(薄く軽い衣)を親(みずか)ら襲(かさ)ねる春は 風処無くして楊花にあらず。
26.5p×180.5p聨

道光26年(1846)生〜民国20年(1931)歿
製作年  1929年(84歳)
 字を嘉父といい、雲山・樊山・天琴老人と号した。湖北省恩施の人。生来聡穎で、幼さより文章を工にした。京師に遊んで、李慈銘の賞賛をうけ、師友の間を以て交際を続けた。光緒3年(1877)の進士、陝西省沼南県の知府・陝西布政使となる。民国後、北京に寓居して周樹模・左紹佐らと文酒の縁をむすび、「楚中三老」と称せられた。
 彼は詩に巧みで、その数3万余首におよぶ。好んで艶体を作り、前後「彩雲」の二曲が良く知られている。また、「判牘」という一書も佳作として後世文官の間に標準書として座右に置かれた。
 著に『樊山集』28巻、『続集』28巻、『又続集』28巻『公牘』3巻『批判』15巻、『二家詠古詩』1巻、『二家試帖』2巻、『二家詞鈔』5巻、『時文』1巻、『樊山続集』17巻などがある。


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