張謇 ちょう・けん

斷隄野水梅花宅
隄を断じて 野水 梅花の宅(に入る)
夾岸人家薜茘牆
夾岸の人家 薜茘の牆(と化す)
41p×170p聨

   
咸豊3年(1853)生〜民国15年(1926)歿
製作年  不明
 字は季直、号は嗇、別に張季子とも言う。江蘇省南通の人。前清の進土で、輪林院殿撰、農工部顧問等に歴任し、その後実業界に入って光緒年間張之洞の命令をうけて盛宣懐と合同して紡績工場を創立し、また同地に復新麺粉公司、広生油廠、資産鍛冶廠、阜生絲廠等各種工場を設立して一個の工業都市を形成した。また張之洞の創設した武昌の織布局、紡紗局、製麻局、繰絲局の四工場の経営を継承し、淮河の浚渫事業を計画し、更に満州殖民事業を企画するなど上海及長江を中心として中国に於ける各種事業に関係し、その雄厚なる資財を巧みに利用し、盛宣懐の後をうけて長江の財権を把握した。一方政界にあっては光緒末年上海に設立された予備立憲公会の副会長、江蘇諮議局議長に挙げられ、在野政客として声望を負った。袁世凱が出て江蘇宣慰使となったが南方に止って革命軍を助け、南京臨時政府が成立すると実業部総長となる。民国2年に熊希齢内閣の農林総長兼工商総長、同年に農商総長となる。孫寶g、徐世昌各内閣に留任し、民国3年に辞任。その後上海に於て章炳麟、程徳全等と政党組織に奔走して共和党の領袖となる。4年に袁の帝制に「嵩山四友」に推されたが受けず、極力これに反対して政界を絶ち、南通州で事業の経営に当たるとともに力を殖産興業に傾注し、子弟の教育、貧民の救済等に尽力した。その著に『光緒甲午恩科試巻』『癸卯東遊日記」(光緒29年印本)、『南通州費君鑑清小傳』『張季子九録』80巻(民国20年中華書局出版)、『張季子詩録』6巻、『文録』若干巻などがあり、子の孝若の述に『南通張季子直館記附年譜年表』がある。


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