高邕 こう・ゆう
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太華は 嶽 高くして 石は天骨に聳える | |
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嶧陽の 桐 弧にして 根 氷泉に老す | |
26.5p×131p聨 |
道光30年(1850)生〜民国10年(1921)歿 製作年 1894年(45歳) |
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字を邕之といい、李盦・苦李・聾公・赤岸山民と号した。浙江省仁和の人。幼少より唐の李邕(北海)を深く慕い、その同名を取る。書は李邕の神髄を得、全て蔵鋒を以ってした。流露楮墨、一種孤介の風趣があり、晩年には鄭板橋や李瑞清を学ぶ。結体は「瘞鶴銘」を学び、駿駛廻翔の妙を兼ねた。 偶作の山水は、八大山人・石濤の間に在り、花卉に至っては、蒼勁古拙である。代表作は光緒24年(1898)の「山阿寂蓼図」で妙品と言われる。 篆刻は銭叔盖友として、『末虚室印賞』『泰山藏石樓畫譜』に残されている。民国後、上海に寓居し、汪洵・呉昌碩・張祖翼と共に四大家と称せられる。 |