高邕 こう・ゆう

好古齋
 松篁この横坡を入手し、室名とした。これを記して、以前、大東文化大学教授萩庭余丁先生と、楊見山の扇子と交換した石材(王壮為先生から頂戴したもの)に、故宮博物院顧問・国立師範学校教授の王壮為先生に「好古齋主」と刻を依頼し、以後愛用している。(松篁印譜萃参照)
98p×30p

道光30年(1850)生〜民国10年(1921)歿
製作年  1893年(44歳)
 字を邕之といい、李盦・苦李・聾公・赤岸山民と号した。浙江省仁和の人。幼少より唐の李邕(北海)を深く慕い、その同名を取る。書は李邕の神髄を得、全て蔵鋒を以ってした。流露楮墨、一種孤介の風趣があり、晩年には鄭板橋や李瑞清を学ぶ。結体は「瘞鶴銘」を学び、駿駛廻翔の妙を兼ねた。
 偶作の山水は、八大山人・石濤の間に在り、花卉に至っては、蒼勁古拙である。代表作は光緒24年(1898)の「山阿寂蓼図」で妙品と言われる。
 篆刻は銭叔盖友として、『末虚室印賞』『泰山藏石樓畫譜』に残されている。民国後、上海に寓居し、汪洵・呉昌碩・張祖翼と共に四大家と称せられる。


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