康有為 こう・ゆうい

 原吾中国信佛教之始由於大唐
 天寶初年至夫由馬跎経信佛者之
 日益増衆耳
(もとより) 吾 中国の佛教を信ずる之(の)始めは 由(よる) 於いて大唐の
天寶初年(701年) 至る 夫(かの)馬跎経に由来する 信佛の者 之(これ)
日益に衆の耳に増す
39.5p×150.5p

咸豊8年(1858)生〜民国16年(1927)歿
製作年  不明
 清末、民国初の政治・思想・書論家。別名は祖詒、字は廣廈。長素・更生・更甡と号した。晩年、天游化人と称し、広東省南海の出身なので、康南海ともよばれる。公羊学を奉ずる進歩的な経学者。
 かれの家は、代々理学をもって家学とした。19歳のとき、同郷の大儒・朱次gから、漢宋兼採の学をうけたが、やがて宋学に傾いた。のち四川の廖平の公羊学に強い影響をうけ、内外の時局を憂え、中国の救済を真剣に考えるようになった。この間、西洋の自然・社会学をも学び、かたわら仏教や老荘にも及んで、これらを公羊学に関連させ、のちの大同の説に発展させた。
 31歳のとき、変法の案を上書した。このいわゆる「布衣上書」は、一部官僚の共感を得たが、保守派のために阻止された。33歳のとき帰郷して、万木草堂を開いて、梁啓超ら俊才の弟子を教育し、『新学偽経考』などの急進的なものを書いた。光緒19年(1893)挙人となり、会試のため都に入った。このとき全土の挙人1200百名を糾合し、連名で変法の上書を行ったのが、有名な「公車上書」であるが、またにぎりつぶされた。その後二度にわたる上書も脚下された。しかし24年には、清朝大官の中にも変法の意見が強くなり、翁同龢の建言によって、かれの上書は光緒帝に達した。この年、会試に上京の挙人を動かし、保皇会をつくり、諸制度の全面的な改革を企てた。しかし、西太后と保守派の手で翁同龢も失脚し、光緒帝には実権はなく、ついに「戊戌変法」は、いわゆる百日変法でおわってしまった。この政変で身に危険が迫り、天津から上海、さらに日本へ亡命した。
 かれの改革思想は、君主立憲政体による共和制社会の実現にあった。しかし、当初の改良思想も、亡命後はしだいに後退し、光緒帝の復辟運動に終始した。その後の16年間、アメリカなどに亡命し、帰国したのは、中華民国成立後で、そのころには反動派と烙印されていた。1917年、宣統帝の復辞運動に参加し、弼徳院副院長を授けられたが、運動は失敗して、アメリカ大使館の保護をあおいだ。1927年、国民革命軍が上海に迫り、青島に逃げ、失意のうちに病死した。
 かれの書に対する関心は、幼ないころからあった。11歳で、祖父から歐陽詢・趙子昴の書を課せられた。20歳ごろ朱次gの門にあって、腕を水平にして指先に力を入れるという執筆法をうける。のち陳澧に道因法師碑を学ぶよう教示され、ついで帖派の書を学んだ。六朝碑への開眼は、張鼎華に示唆されたのが契機となった。会試に上京したおり、ケ石如の作品や漢魏六朝碑版200本あまりを入手した。また藩祖蔭らによって夥しい金石碑版を過眼した。
 かれは32歳で著した『広芸舟双輯』によって近代書道史に名をとどめる。この著は、阮元・包世臣以来の碑学尊重の延長路線上にあり、とくに包の六朝碑版重視の補強と拡張に意図がおかれた。かれは、阮元の説は草創期のもので完備していないとする。一方、包世臣の北派の伝流認識を一面的であると批判し、また執筆法を批正した。実技面では南北を統合する見解をとった。またかれの書の美の理念も、包の「気満」と通じるもので、質厚で雄強さをともなった「茂密」を、書の普遍的な美ととらえた。具体的には、「十六宗」という品等づけをし、第一等の「神品」に爨竜顔・霊廟碑陰・石門銘をおいた。かれの理念は、ここに具象化されており、隷楷未分化で刻法のあらわな、いわゆる古筆より円筆(もしくは方円並用)の筆意を備えた書を、最上とする見方にたっている。
 また清朝の作家は、八分では伊乗綬、隷書はケ石如、行書は劉圿、楷書は張裕サを称揚した。もっとも私淑したのは、ケと張で、とりわけ張裕サを海内第一と称揚する。それは、かれの理念の具現者として認識したためで、当代作家の認識も、六朝書認識の立場と同じであった。かれの立論には独断が多い。しかも書道史料の多くみられる現代からすれば、誤解にもとづく面もあるが、六朝書道を啓蒙した功績は大きく、わが国でも広く読まれ、現在にいたっている。
 かれの書は、六朝風の趣多く運筆は奔放である。ただ、陶寿伯先生にお尋ねしたところによると、江蘇省無錫の当時の先生の画室に梅園があり、白梅が多かったそうで、康有為もこの梅園を好んで遊びに来たという。陶先生が書作をすると康有為が自分の名前を書き印を押して持ち帰ったという。日本に康有為書と伝わっているものは大半がこの手のものだそうだ。
 この軸を陶先生にお見せしたところ、グーっと親指を立てて示し、うなずいて居られた。


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