兪樾 ゆ・えつ
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石を以て山をなすは、いかに用 大なるか | |
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不(=丕 多くの)風 しかも月、能く涼なり | |
33p×131.5p聨 |
道光元年(1821)生〜光緒32年(1906)歿 製作年 不明 |
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字を蔭甫といい、中山・曲園と号した。浙江省徳清の人。道光30年(1850)の進士で、編修、河南学政などに官した。30歳で官を退き、西湖の畔に住み、芾元の開いた杭州の訓詁精舎の塾を主宰し、王念孫・王引之の学風を宗とし、古典研究と著述に専念した。古文の假借に通じ、経・諸子の句読を正し、字義を明らかにした。著書に500余巻の『春在堂全書』がある。晩年は蘇州の紫陽学院で学を講じた。又、日本人で教えを受けたものも多く、弟子に呉昌碩等がいる。 書は各体ともに善くしたが、とくに篆・隷に工であった。晩年には、書を求めるものが多かったが、ほとんど行草で応じ、篆・隷は軽々しく書かなかったといわれる。日本では蘇州寒山寺の「月落馬蹄霜満天」(張継詩)の詩碑によって知られている。 が、その作品のほとんどが仿であり、真筆はめったにない。又、使用している印も呉昌碩の印譜にあるとは限らず、落款の樾字の動きなど、書をもって真を判断する以外にない。 |