広瀬 淡窓 ひろせ たんそう
   

讀書休通用
猶勝叱牛聲
沮溺生今世
還應事舌耕
読書 通用を休め
猶 牛声を叱るに勝るごとし
沮溺(長沮と桀溺) 今世に生ずれば
(また)(まさに)舌耕(弁説によって生計を立てる)を事とするはずだ
106p×25p

天明2年(1782)生〜安政3年(1856)歿  
 江戸時代の儒学者で、漢詩人、教育者。豊後国日田の人。本名は建。字は子基、淡窓・青溪・苓陽などと号した。敬天の説を主として、諸学を総合し、塾舎咸宜園を建て、門生の中から多方面に人材を輩出した。
 引首印は「淡牕」、「苓陽」の下に白文の「廣瀬建印」、朱文の「子基氏」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://iris.hita.net/~city/tanok/tanatcl.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E7%80%AC%E6%B7%A1%E7%AA%93
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咸宜園
http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%D2%F9%B5%B9%B1%E0/detail.html?LINK=1&kind=epedia
http://iris.hita.net/~city/arc/h15/kanf/h15kangi.pdf
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%B8%E5%AE%9C%E5%9C%92
http://www.ajkj.jp/ajkj/oita/hita/kanko/kangien/kangien.html
http://www.washimo.jp/Trip/Hina-Hida/kangien.htm
http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/hita.htm


長沮と桀溺  『論語』微子第十八
長沮桀溺藕而耕、孔子過之、使子路問津焉、長沮曰、夫執輿者爲誰、子路曰、爲孔丘、曰、是魯孔丘與、對曰是也、曰是知津矣、問於桀溺、桀溺曰、子爲誰、曰爲仲由、曰是魯孔丘之徒與、對曰、然、曰滔滔者天下皆是也、而誰以易之、且而與其從辟人之士也、豈若從辟世之哉、憂而不輟、子路行以告、夫子憮然曰、鳥獣不可與同群也、吾非斯人之徒與而誰與、天下有道、丘不與易也

長沮と桀溺が耕作していた。孔子は彼らを隠者と思い、子路に舟の渡し場を問わせた。長沮は「あの手綱をとっているのは誰か」と聞くので、子路は「孔丘です」と答えた。「それじゃ、渡し場ぐらいは、とっくに知っておろう。」桀溺が「ところでお主は」と問うた。「仲由です。」桀溺が言う。「滔々として帰ることがないのが、なべて天下の趨勢なのだ。それなのに、一体誰とともにこの世を変えようというのか。人を避ける説士(孔子)に従うより、世を避ける隠士に従う方がましではないか。」子路がこのことを孔子に告げると「私は動物・けものだけと暮らして、自ら潔しとしておれないのだ。私は人間らしく人間世界で生きたい。秩序ある世界なら、私も社会を変えようとはしないのだ。」と言った。


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