高森 碎巌 たかもり さいがん
   

密竹疎林斜帯水
渇醪黄柑獨看山
家僮日午乗秋霽
石上清泉洗馬還

107p×34p
密竹疎林 斜めに水を帯び
渇醪黄柑 独り山を看る
家僮(=下男)の日午(=真昼) 秋霽 乗(のぼ)る
石上の清泉 馬を洗って還る

弘化4年 5月22日(新暦 1847年7月4日)(10月1日とも)生〜大正6年 10月25日(新暦 1917年12月9日)歿
 近代南宋画の大家。上総の国(千葉県)長南町に生まれる。幼名宗之助、名は敏、字は子訥、通称有造、翠巌・菊梁・朶香・遂頑居士・自知斎・七松園・双松庵 等の別号を持つ。
 江戸に出、服部蘭台に儒学を学び、17歳で渡辺崋山の高弟山本琴谷に師事。格調を持った山水花鳥画を得意とし、後に与謝蕪村に私淑したと言われている。南宋画に対する研究、眼識は当代随一と称され鑑識、鑑定家としてもその重きを為した。船会社や司法省に勤務するが、画業に専念、公の展覧会には出品せず画作を続ける。
 南画会の結成に参加。日本美術協会会員。
 「題 謝春生(=与謝蕪村)秋渓幽居圖 碎巌居士」の下に、白文の「高敏印信」、朱文の「有造」の落款印が押されている。

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