井上 士朗 いのうえ しろう
   

よろつよや
山の上より
けふの月
万世や
山の上より
今日の月
130.5p×27p

寛保2年(1742)生〜文化9年5月16日(新暦 1812年6月24日)歿
 尾張春日井郡守山(現 愛知県名古屋市守山)の生まれ。本名は井上正春。医名は専庵。初号を支朗、住まいに因み琵琶園・朱樹叟・枇杷園、隠居後は松翁と号した。少年時名古屋新町の町医者で叔父の井上安清の養子となり、3代目を継いだ。
 10代後半ごろ俳諧を加藤暁台に師事。作品の初見は22歳の暁台編『蛙啼集』(宝暦13刊)。明和4年(1767)ごろより一門の間に重きをなし、天明の半ばには全国にその存在を知られるようになった。性格が温和で名利を追わず、藩医に推されたこともあったが辞退した。俳諧では、「尾張名古屋は士朗(城)で持つ」と俗謡にうたわれ、夏目成美、鈴木道彦と共に寛政三大家の一人として重んじられた。士朗の業績は、高雅にすぎた加藤暁台の句風を、大衆むきに平明化した点にあるが、反面次代の月並調の萌芽もみえる。
 俳諧のほか、国学を本居宣長、絵画を勝野范古、平曲を荻野検校に学び、医者としても城下一の評判があった。
 編著は『枇杷園句集』(1804)、『枇杷園句集後集』(1808)、『枇杷園随筆』(1810)、『枇杷園七部集』(1〜5編)に収められる。<参考文献>市橋鐸「井上士朗」(明治書院『俳句講座』3巻)・岡本勝・雲英末雄編『近世文学研究事典』桜楓社)
 「枇杷園士朗寫」の下に、白文の「朱樹」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://www.city.ikeda.osaka.jp/sisetu/rekisi/waka/wshiro.htm
http://www.geocities.jp/moriyamamyhometown/moris45.htm
http://www.weblio.jp/content/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E5%A3%AB%E6%9C%97
http://www4.airnet.ne.jp/soutai/01_soutai/01-2_i/05-5_no/inoue_sirou/inoue_sirou.html
http://kotobank.jp/word/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E5%A3%AB%E6%9C%97
http://red.ap.teacup.com/syumoku/50.html
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-1338.html
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/he05/he05_06574/index.html


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