高橋 石斎 たかはし せきさい
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渓畔(=谷)の軽風 沙汀(=砂浜)印(=印象)す 月独り佳哨(=口笛) 春を賞でて行く 漁家の咲き傲る松花を見 醸洦の春水 煎茶甘し 心に復 拙っせずを蔵し 人に世を問いて興(=興味)襄す |
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151.6p×81.2p |
文化14年(1817)生〜明治5年7月24日(新暦 1872年8月27日)歿 |
名は豊珪、字は子玉、通称は幸次郎で、石斎と号した。別号は松谷・煙岳など。 尾張名古屋藩に剣術で仕えた父 曽平に二刀流を学び、尾張名古屋藩の撃剣師範になる。また儒学を鈴木朖に学んだ。 石齋、一日想うに「区々たる武技を以て功として伝えるに足らず」と、勤めを辞して江戸に遊び、文学に専心した。最も書法の習練に努め、力を顔柳に得て一家を成した。 明治維新の際、戸田大和守忠至に招かれ、またその推薦により史官をもって奉仕した。 「石齋珪」の下に、白文の「高珪之印」、朱文の「子玉氏」の落款印が押されている。 推奨サイト http://kotobank.jp/word/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E7%9F%B3%E6%96%8E http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/search.php?cndbn=%8d%82%8b%b4+%90%ce%8d%d6 |