斎藤 拙堂 さいとう せつどう
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碁声 遙かに答える 鼓鼙(=攻め太鼓)の声 豈に但だ安閑 物情を鎭す 自ら是れ胸中 定策を蔵す 坐して絶す 風鶴 奇兵を作す 謝安石(謝安) 囲碁図 |
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風声鶴唳=おじけづいた人がわずかのことで驚きさわぐことのたとえ。 | ||
136.5×34cm |
寛政9年(1797)生〜慶応元年(1865)歿 |
江戸に生まれる。名は正謙、字は有終、拙堂または鐵研と号した。伊勢の津の人。昌平黌で、古賀精里に学び、のち伊勢津藩主藤堂高兌が藩校有造館創建の折、三重県の津に移り藩儒となって、有造館で刊行した『資治通鑑』の出版に尽力した。 郡奉行などもつとめ種痘館を設置し種痘をはじめて津藩にひろめたなど、当時としては進歩的な学者であった。 「鐵研生」の下に、白文の「斎藤謙印」、朱文の「拙堂居士」の落款印が押されている。 推奨サイト http://homepage2.nifty.com/shohzan_ao/SETUDOU.html http://homepage2.nifty.com/shohzan_ao/setuden.htm http://www.info.city.tsu.mie.jp/modules/bunkaka/article.php?articleid=124 http://www.pref.mie.jp/BUNKA/TANBO/BUNKA/mieb0243.htm 本作品は岡山県倉敷市の荻野美術館旧蔵品。箱書きは萩野コレクションの基盤をなした二代目萩野休次郎氏で、煙浦・雲烟堂などと号した。 |