宮崎 来城 みやざき らいじょう
   

佳人吹篴月輪斜
餘韻凄々動宿鴉
昨夢江南春欲度
臨風莫奏落梅花
佳人篴を吹いて 月輪斜なり
餘韻凄々として(=淋しく辛く) 宿鴉(=カラス)動く
昨夢 江南 春度(=たびたび)欲す
風に臨んで奏でる莫かれ 梅花落ちる
137.4p×34.2p

明治4年(1871)11月生〜 昭和8年(1933)歿
 詩人。久留米藩士の家に生まれる。名は繁吾、初号は柳渓。山下桃徯・江崎巽庵に師事しのち、二六新聞に入り日露戦争で従軍記者となる。
 篠山町の篠山神社境内にある「来城先生詩碑」によれば、「性格は磊落で非凡、志は国家にあるも任官を好まず。全国を遊歴、足跡は台湾から中国大陸に及ぶ。一代の学識を持って作詩に情熱をもやし、著作も多くある。晩年は郷里に家を構え、弟子達が雲霞の如く集まってきて、この世界がますます盛んに成って来た。人々は天下の詩壇を賑わす大家であると噂していたのも又肯ける。」とある。
 「来城」の下に、白文の「繁字子寔」、朱文の「南筠布衣」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://snkcda.cool.ne.jp/sekihi/raizyou/raizyou.htm
http://www.fusuian.jp/hukuokakinrinnobunjin2.htm
http://www.shibunkaku.co.jp/biography/search_biography_aiu.php?key=x&s=1900


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