小里 頼永 おり よりなが
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国体(=国柄)は 外邦(=外国)との異に由来する 君親臣子(=君臣親子) 無双と道う 時は悪感と雖も 清世を紊(みだ)す 国粹(=その国固有の長所)は人に有りて 何ぞ双を呈す 庚午(=昭和5年)夏日 大慨 浦野君と 時に相いに国体を詠ずる 七十六翁雪洲市隱(=世をのがれて市中に住んでいる人) |
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昭和5年=ロンドン海軍軍縮会議があり、右翼から反感をかって、11月、濱口総理が銃撃された。 | ||
136p×34.5p |
安政2年5月1日(新暦 1855年6月14日)生〜昭和16年(1941)7月3日没 制作年 昭和5年(1930) 76歳 |
信濃松本藩士小里頼命の長男。自由民権運動に加わり、国会開設請願委員となる。長野県会議員をへて、明治23年衆議院議員。40年初代松本市長となり、昭和12年まで30年間勤めた。筑摩師範講習所卒。 「雪洲市隠」の下に、白文の「小里頼印」、朱文の「雪洲」の落款印が押されている。 推奨サイト http://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E9%87%8C%E9%A0%BC%E6%B0%B8 http://spysee.jp/%E5%B0%8F%E9%87%8C%E9%A0%BC%E6%B0%B8 http://oshiro-m.info/quiz/g4-4.pdf http://oshiro-m.info/quiz/g10_1.pdf http://www.city.matsumoto.nagano.jp/kurasi/kodomo/gimukyoiku/elementary_school/e_tsukama/kouchoukouwa_10gatsu/index.html |