岡田 鴨里 おかだ おうり
   

太華峰上秋
素節七星閃
身在土泥中
此心不曽流
太華峰上の秋
素節(=中秋節) 七星(=北斗七星)閃く
身は在り 土泥の中
此の心 未だ曽て流れたことはない     題藕(=蓮の根)
111.5p×29.5p

文化3年8月10日(新暦 1806年9月21日) 生〜明治13(1880)年9月5日歿
 津名郡王子村(現 兵庫県淡路市王子)の庄屋砂川佐一郎の四男として生まれた。名は僑・喬、字は周輔といい、鴨里と号した。のち、掃守村(現 三原町掃守)の豪商岡田家の養嗣子となった。掃守村と津井村とはほぼ三里の行程である。
 文政11年(1828) 22歳の時、京都三本木にあった頼山陽の門をたたいた。山陽は『日本外史』を完成、次の著書『日本政記』の著述にかかっていた。山陽が天保3年(1833)に病没したため、鴨里は僅か4年程教えを乞うたに過ぎないが、高弟の一人となっており、天保5年(1834)『日本外史補偏』『日本外史補偏付録』を山陽に代わって刊行した。編著に『蜂須賀家記』などがある。
 在京中、中森節斉・松本奎堂・藤本鉄石などの勤王の志士と知友になった。文久元年(1861)55歳の時、中小姓格の士分にとりたてられ、阿波徳島藩に招かれた。洲本学問所御用をつとめたが、明治維新となり官を退いた。
 「鴨里」の下に、白文の「岡田僑印」、朱文の「鴨里」の落款印が押されている。

推奨サイト
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