岡田 半江 おかだ はんこう
   

流水人家洞裏幽
清猿古木思悠々
別家幾度藤蘿月
閑却瑤ル石上秋

山水画
流水 人家 洞裏 幽なり
清猿 古木 思い悠々
別家 幾度 藤蘿(=藤など、つる状にまつわる植物)の月
閑却 ルを瑤す 石上の秋
24.3p×20.7p

天明2年(1782)生〜弘化3年(1846)歿
 米山人の子。名は粛、字は子羽、号は半江・子米・無声・寒山・独松楼・寒山外史・墨江老樵など。通称宇左衛門、父の没後は彦兵衛を襲名した。
 父に代わり家業の米穀商に精励、よく繁盛させた。画を父に習い、また南宋・元・明の画跡を研修し、一家を成した。山水・花卉画を得意とし、詩文にも長じていた。伊勢国津藩藤堂家に仕えた。天保3年ごろ職を辞し、子の寸庵(彼も画人として活躍)に米穀商の家督を譲り天満橋北に隠居所を構えたが、父米山人が残した膨大な量の書画や書籍が天保8年(1837)大塩の乱の煽りで、灰燼に帰している。
 半江が本格的に絵筆を振るい始めたのはこの事件以降のことである。居を住吉に移し、父の知友であった 篠崎小竹、田能村竹田など多くの文人と親交を結んだ。
 「倣米家法」とある。「米法」を真似たもので、輪郭線で表現することの多い米山人・半江親子の技法とは全く異なる技法で書いたもの。珍品といえる。
 「半江田粛」の左に、共に白文の「粛印」「半江」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://fine-vn.com/cat_13/ent_71.html
http://www12.plala.or.jp/HOUJI/bunkajin-haka/newpage391.htm
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/jart/mokuji/2odhk001.html
http://www.shibunkaku.co.jp/biography/search_biography_aiu.php?key=o&s=240
http://plaza.rakuten.co.jp/kohionagasu46/diary/200705290000/


「米法山水」
中国宋代の文人画家米芾友仁父子がはじめたと伝えられる水墨山水画法。輪郭線を用いず、山の大体の形や木の枝幹を墨の暈し(ぼかし)でつくり、その上に墨の点を重ねてかき上げる方法で、この墨の点描を米点と呼ぶ。唐代の潑墨山水、粗放な型の画風の創始者の1人王黙に源をもつといわれるが、後世ではきわめて瀟洒なものになった反面、整いすぎて形式化したものが少なくない。(世界大百科事典 平凡社 川上歴)



参考文献一覧      HOME