大島 君川 おおしま くんせん
   

禀天然不渝之操
體蘭石芳堅之資
庚申立秋後三日
天然渝(かわ)らざるの操を稟(う)け
蘭石芳堅の資を体す
庚申(大正9年)立秋(8月8日)後三日(8月11日)
   天然自然に決して変わらぬ節操を授かり
   蘭の如く芳しく石の如く堅き資を忘れぬようにしなければならない。
137.5p×33.0p

文久2年(1962)1月生〜昭和18年(1943)2月17日歿
制作年 大正9年(1920)8月11日 59歳
 尾張藩士大島富備の子として、名古屋の水主町に生まれた。名は徳太郎、字は影正、蓼江・七舟と号す。後、君川・二石山房と改号した。
 壮年より愛知県庁に30年程奉職し、専ら翰墨の事に当った。祖父の大島随法が書家であったことが影響してか、早くより恒川宕谷に師事し、古法帖を研究して一家を成した。上京した際には、西川春洞らと交流し大いに益を受けた。
 退官後は自宅を君川書房とし、多くの門人を養成して書壇の重鎮となった。門人に、長谷川流石・石田泉城・吉田桂秋等がいる。
 中部日本書道連盟の会長となり、佐分移山の一楽会と長谷川流石の不律会を統率協力させ、斯会の向上と指導に尽力した功績は大きい。
 「君川處士書」の下に、白文の「大島徳印」、朱文の「君川漁長」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://www4.airnet.ne.jp/soutai/01_soutai/01-5_o/01-5_o/owari_ooshima/ooshima_kunzan.html
http://blogs.yahoo.co.jp/sangsyu/9143070.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/article/serial06/16-6.ht
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-1163.html


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