大島 君川 おおしま くんせん
   

自尊
丸くとも 一角あれや人こゝろ
あまり丸きは 転びやすきぞ
性格が円満なのは結構なことだが、柔和なだけでなく一角突き出て自分の意思を貫き通す強き面は必要だ。(坂本龍馬)
138.6p×33.2p

文久2年(1962)生〜昭和18年(1943)2月17日歿
 尾張藩士大島富備の子として、名古屋の水主町に生まれた。名は徳太郎、字は影正、蓼江・七舟と号す。後、君川・二石山房と改号した。
 壮年より愛知県庁に30年程奉職し、専ら翰墨の事に当った。祖父の大島随法が書家であったことが影響してか、早くより恒川宕谷に師事し、古法帖を研究して一家を成した。上京した際には、西川春洞らと交流し大いに益を受けた。
 退官後は自宅を君川書房とし、多くの門人を養成して書壇の重鎮となった。門人に、長谷川流石・石田泉城・吉田桂秋等がいる。
 中部日本書道連盟の会長となり、佐分移山の一楽会と長谷川流石の不律会を統率協力させ、斯会の向上と指導に尽力した功績は大きい。
 白文の「大島徳印」、朱文の「君川」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://www4.airnet.ne.jp/soutai/01_soutai/01-5_o/01-5_o/owari_ooshima/ooshima_kunzan.html
http://blogs.yahoo.co.jp/sangsyu/9143070.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/article/serial06/16-6.ht
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-1163.html


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