亀田 鶯谷 かめだ おうこく
   

29.8p×133.8p

文化4年5月3日(新暦 1807年6月8日)生〜明治14(1881)年8月2日歿
制作年 明治12年(1879) 73歳
 下総岡田郡(現 茨城県)の人。本姓は鈴木氏、名は毅・長保、字は申之、通称は保次郎、号を鶯谷・学孔堂・稽古堂・本教教舎などと称した。江戸に出て亀田綾瀬の門に入って漢学・詩文を学び、綾瀬の養女 縫と結婚して師家を継ぎ、家学を継承した。下総関宿藩(現 千葉県)の儒臣となり藩校教倫館で教授した。維新 後は東京の深川で家塾を開いて講説に従事した。
 著作に『鶯谷先生詩藻』などがある。
 「七十三翁鶯谷保書」の下に、白文の「龜田??」、朱文の「鶯谷」の落款印が押されている。

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