亀田 鶯谷 かめだ おうこく
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万里 江を漾(ただ)よって 万里 流れる 水高く風○ 白鷗愁う 帆は波涛を快剪して走るに飽き 峯樹 邨行 ○舟 回る 利根を下るの作 |
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25.6p×33.5p |
文化4年5月3日(新暦 1807年6月8日)生〜明治14(1881)年8月2日歿 |
下総岡田郡(現 茨城県)の人。本姓は鈴木氏、名は毅・長保、字は申之、通称は保次郎、号を鶯谷・学孔堂・稽古堂・本教教舎などと称した。江戸に出て亀田綾瀬の門に入って漢学・詩文を学び、綾瀬の養女
縫と結婚して師家を継ぎ、家学を継承した。下総関宿藩(現 千葉県)の儒臣となり藩校教倫館で教授した。維新 後は東京の深川で家塾を開いて講説に従事した。 著作に『鶯谷先生詩藻』などがある。 「鶯谷保申之」の横に、白文の「龜田保印」、朱文の「申之」の落款印が押されている。 推奨サイト http://kotobank.jp/word/%E4%BA%80%E7%94%B0%E9%B6%AF%E8%B0%B7 http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-579.html |