村瀬 栲亭 むらせ こうてい
|
懸崖(=断崖) 唯だ骨(=気骨)有り 老樹 半ば枝無し 棹を放つ 烟波(=靄のかかったように霞んでみえる波の連なり)の外 生涯 風月知る (山水画) |
|
150p×40.5p |
延享3年(1746)生〜文政元年12月6日(新暦1818年1月1日)歿 |
名は之煕、字は君績、通称は嘉右衛門、栲亭・神洲などと号した。のち、姓名を土岐中書と改めた。 父の周節は阿波郡香美村(現市場町香美)の人。京都に出奔して医師になったが、京都で生まれた栲亭は幼少より父の教えを受けて医学と儒学を学び、武田梅竜に師事して古注学を修めた。博学洽聞で古今に通じて詩文・音律・書画にも長じた。 40歳の時、秋田藩に儒官として迎えられ、また藩の総奉行として藩改革を補佐するなど重用され、藩校明道館の設立に尽力した。その後、京都に塾を開き田能村竹田など多くの門人を育てた。 考証学を唱え、博学で詩文に長じ書画に優れていた。書は行書を得意とする。 著は『芸苑日抄』・『栲亭遺稿』など多く、門人から「文献先生」と呼ばれた。また上田秋成と親交し、秋成の著した煎茶の解説書『清風瑣言』の序を書いた。 「栲亭之煕」の下に、朱文回文の「源之煕印」、、白文の「君績氏」の落款印が押されている。 推奨サイト http://www.bungakushodo.jp/04search/shodo.htm http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/189612/m0u// http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-1129.html http://homepage3.nifty.com/yama-sou/myweb1_011.htm http://www3.coara.or.jp/~chidokan/yoko-moku-3.html http://www.shibunkaku.co.jp/biography/search_biography_aiu.php?key=mu&s=40 |