貫名 海雲 ぬきな かいうん
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百艸の叢(=草むら)中 何処で鳴く 秋虫春鳥 耳須(すべから=当然)く傾ける 知らず那日(=いつ) 風雲起き 変を作す乾坤 霹靂(=雷)の声 樷(むらが)り鳴き珍らしく聞く 第一回発兌(=出版)祝辞 |
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111.4p×39.0cm |
文政13年(1830)生〜明治30年(1897)歿 |
播磨の洲本の人。本姓は加藤、名は祁、字は孔有、通称は右近・与三郎、海雲と号した。貫名海屋に師事し、須静堂の塾頭となり、海屋の二女の婿(=嗣子)となり、須静堂を引き継いで子弟を教育した。 また、摂政一条忠香に招かれて息女美子(後の昭憲皇太后)に漢学と書を教授し、朝廷の学習院書博士となった。維新後は東京の神田で漢学塾を開いた。慶応3年の『平安人物志』には儒家の項に記載されている。 尚、明治24年(1891)に、『貫名海雲還暦白寿帖』が公刊されている。 「海雲貫名祁」の下に、朱文の「貫名祁印」と「肖像印」の落款印が押されている。 推奨サイト http://kotobank.jp/word/%E8%B2%AB%E5%90%8D%E6%B5%B7%E9%9B%B2 http://tois.nichibun.ac.jp/hsis/heian-jinbutsushi/Heian/years_keio3/heian825.html http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-1085.html |