中平南谿 なかひら・なんけい
   

一枕鳥聲殘夢裡。半窓花陰獨吟中。
一枕の鳥声 残夢の裏。半窓の花陰 独吟の中。
24p×136p

明治36年(1903)12月25日生〜平成13年(2001)4月8日歿
     制作年  不明
 高知県宿毛市に生まれる。長じて東京市役所に奉職した。昭和4年、松本芳翠先生に入門。大内枝翠、日下部閑石、山本澂堂、田村嶺風、岡本匡史、辻村秀鴻、吉田浩堂、松永凌雲氏ら芳翠門下の俊足に伍し、戦前の東方書道會展に雄作を出品し大いに書技を発揮した。戦後の昭和22年5月、疎開先から芳翠先生が上京され、「晩翠軒」に在京の書海杜同人を招集された際、枝翠、浩堂、嶺風、鶴仙、閑石、澂堂、蓬山氏等と共に馳せ参じ、書海杜東京復帰に力を添えた。
 その頃、田村魚菜氏とコンビを組んで都の民生事業としてパン食の普及キャンペーンをし、戦後の都民の食生活の改善に努力した。
 昭和25年に戦前の東方書道會の後身として書道同文會が結成され、芳翠門では吉田浩堂氏に次いで昭和30年に幹事長となった。そして芳翠先生が中心となり同文展を戦前の東方書道會の域に発展させようと、松井如流、柳田泰雲、平尾孤往、津金鶴仙、村田龍岱諸氏に呼びかけ大合同を計画、現在の東方書道院が昭和32年に誕生しました。
 日展特選二回、ついで審査員に任じ、その奔放にして精緻な情感溢れる作風で知られた。
 (財)書海社常務理事、日展参与。


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