春秋庵(三森) 幹雄 しゅんじゅうあん みきお
   

   山家  山に入れば 山の
         すさのを 離(はぐ)れ鳧(かも)
  
113.9p×31.2p

文政12年12月16日(新暦 1830年1月10日)生〜明治43(1910)年10月17日歿
 東京の宗匠。陸奥国中谷(福島県石川町)に生まれる。江戸に出て11世春秋庵となった。本名は三森寛、幼名は菊治。別号は多く、静波、樹下子、笈月山人、不去庵、天寿老人、桐子園、香南居などを名乗った。春秋庵準一の父。
 明治7(1874)年、俳諧教導職となり、明倫講社を結成して、明治13(1880)年から『俳諧明倫雑誌』を刊行。門弟3000人に及んだと言われる。(参考文献 尾形仂等編『俳文学大辞典』角川書店)
 「三木雄」の下に、朱文の「香楠居」の落款印が押されている。

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