伊佐 岑満 いさ みねみつ
   

仙雲擁壽山
蘇軾(1036〜1101)の『皇太后閣六首』に
瑞日明天仗  瑞日(=めでたい日) 天仗(=宮中の儀仗)に明かに
仙雲擁壽山  仙雲 寿山を擁す
倚欄春晝永  欄に倚れば(=欄干によりかかる) 春昼永く(=春の日差しが麗らかで長閑である)
金母在人間  金母(=西王母) 人間に在り
109.9p×27.8p

文化6年(1809)生〜明治24年(1891)歿
 江戸(東京)の人で、名は岑満、通称は新次郎、字は樓卿、号を如是と称した。
 15歳で幕府金同心見習となり、のち金同心、同元締役、徒目付となり、下田奉行支配組頭、具足奉行、幕奉行、講武所奉行組頭、海軍奉行等を歴任する。
 明治元年(1868) 駿府に住んで使番となり、明治9年(1876) 牧之原開墾地谷口原に移る。安政年間(1854-1860)、下田奉行支配組頭のとき、米国領事ハリスに唐人お吉(斎藤きち)を世話した話は有名。
 漢籍は岡本況斎に学び、和歌にも優れていた。書法は小島成斎に学び、如是と号した。晩年は谷口原(鳥日市)付近の子弟に漢籍や書を教授した。『初含村誌』によれば、その書の指導を受けたものには勝海卉・山岡鉄舟・高橋泥舟・金原明善・一木喜徳郎・岡田良平らがある。
 「如是閑士」の下に、陽刻「樓卿」と陰刻「伊佐岑満印」の落款が押されている。

推奨サイト
http://kotobank.jp/word/%E4%BC%8A%E4%BD%90%E5%B2%91%E6%BA%80
http://www.izu.co.jp/~ryosenji/4mokuroku.htm
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-705.html
http://www.chinryutei.com/chinryu.htm
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/5784/honbun/i2.html


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