三国 幽眠 みくに ゆうみん
   

武相豆駿遠州際
参尾勢江雍路中
林鵝峰(羅山の第三子)句
28.8p×24.6p

文化7年10月1日(新暦 1810年10月28日)生〜明治29年(1896)5月31日歿
 越前三国(福井県)の生まれ。加越藩士三国鶴叟の子。
 名は直準、字は士縄、通称は與吉郎・大学、鷹巣・碌々山人と号したが、のち剃髪して幽眠を用いる。
1 6歳にして性海寺大雄に就いて学び、更に文政12年(1829)、近江の中川蟄齋に学んだ。天保3年(1832) 京都に上り、摩島松南に詩文を学び、梁川星巌・頼山陽・森田節斎等と交わった。天保7年(1836) 始めて子弟を集めて孝經を講じた。天保9年(1838) 関白鷹司政通の招待に応じて、同家の儒官となった。
 嘉永6年(1853) 米艦渡来世情騒然たる時に、憂国の志士と交わり、国事に奔走した。安政の大獄で弾圧を受け、安政5年(1858) 捕えられて幽閉された。
 のち許されて再び京に出て、慶應元年には興正寺の家政總裁となり、剃度した。明治6年(1873)10月 権大講義に補せられ、ついで北野梅風会々長となり、従六位に叙せられた。
 『孝經傍訓』のほか数十種の著書がある。
 「幽翁」の下に、朱文の「碌々山人」、白文の「一笑」の落款印が押されている。

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