松本芳翠 まつもと・ほうすい

南中詠雁 韋承慶
萬里人南去
三春雁北飛
不知何歳月
得與爾同歸

萬里 人(=自分)南に去り(=島流し)
三春(=三度目の春) 雁 北に飛ぶ
知らず何(いずれ)の歳月に
爾(なんじ)と同じく帰るを得んや
 作者の韋承慶は、宰相思謙の子で、嗣立の兄。父の韋思謙は、褚遂良を弾劾し左遷した。ところがその後、褚遂良は唐高宗に重用され、報復を受け、今度は韋思謙が左遷された。
 南去(=島流し)とはこれを指すとおもわれ、この詩はMOA美術館収蔵の関戸本和漢朗詠集切(http://www.moaart.or.jp/?collections=093)にも掲載されている。
33.7p×136p

   
明治26年(1893)生〜昭和46年(1971)歿
 1893年(明治26年)1月29日、愛媛県越智郡伯方島に生まれる。16歳で上京、明治薬學校卒業。傍ら書法を加藤芳雲、近藤雪竹、日下部鳴鶴の諸先生に学ぶ。
 大正10年、書海社を創立し機関誌を発行して書道の普及に尽痒する。篆・隷・楷・行・草・仮名すべての体に長じたが、大正11年29歳で平和博覧会併催の書道展に紺紙金泥の細楷正気歌で金賞を受賞して以来、「楷書の芳翠」と世に名を馳せた。その楷書は欧陽詢の九成宮をベースに、晩年は北魏の鄭道昭を取り入れ、方にして円、背勢にして向勢、秀麗端正な中に高い完成度を示し、一世を風靡した。また、行書の格調の高さを、かつてある人は「昭和の文徴明」と評した。草書は書譜をベースとして華麗である。書論では、書譜における「節筆論」で知られる。漢詩もよくした。
 昭和3年戊辰書道会を創立、昭和6年には泰東書道院の創立に尽力し、昭和6年新たに東方書道会を興した。
 戦後は日展審査員となり、昭和29年芸術選奨文部大臣賞、昭和34年日本芸術院賞を受賞、昭和46年日本芸術院会員に推された。財団法人書海社理事長、日展参与。著書に『書道入門』『臨池六十年』などがある。
 1971年(昭和46年)12月16日、歿する。79歳。
 私は大学卒業後、しばらくの間、財団法人書海社に勤務し、直接ご指導を賜った。


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