松本芳翠 まつもと・ほうすい

不論筆跡属何人
墨妙傅來希世珍
千載勅封今始闢
宛然得見右軍眞

脱却範疇鋒更舒
署名何譲撫臨餘
入神筆正出繊手
俗眼誤爲髯叟書
論ぜず筆跡の何人に属するかを。
墨妙伝え来る希世の珍。
千載の勅封今始めて闢く。
宛然見るを得たり右軍の眞。

範畴を脱却して鋒更に舒ぷ。
署名何んぞ譲らん撫臨の余と。
入神の筆は正に繊手に出づ。
俗眼誤つて髯叟の書と為す。
拝観楽毅論所感二首 昭和21年自詠

   
明治26年(1893)生〜昭和46年(1971)歿
製作年 昭和28年 61歳
 1893年(明治26年)1月29日、愛媛県越智郡伯方島に生まれる。16歳で上京、明治薬學校卒業。傍ら書法を加藤芳雲、近藤雪竹、日下部鳴鶴の諸先生に学ぶ。
 大正10年、書海社を創立し機関誌を発行して書道の普及に尽痒する。篆・隷・楷・行・草・仮名すべての体に長じたが、大正11年29歳で平和博覧会併催の書道展に紺紙金泥の細楷正気歌で金賞を受賞して以来、「楷書の芳翠」と世に名を馳せた。その楷書は欧陽詢の九成宮をベースに、晩年は北魏の鄭道昭を取り入れ、方にして円、背勢にして向勢、秀麗端正な中に高い完成度を示し、一世を風靡した。また、行書の格調の高さを、かつてある人は「昭和の文徴明」と評した。草書は書譜をベースとして華麗である。書論では、書譜における「節筆論」で知られる。漢詩もよくした。
 昭和3年戊辰書道会を創立、昭和6年には泰東書道院の創立に尽力し、昭和6年新たに東方書道会を興した。
 戦後は日展審査員となり、昭和29年芸術選奨文部大臣賞、昭和34年日本芸術院賞を受賞、昭和46年日本芸術院会員に推された。財団法人書海社理事長、日展参与。著書に『書道入門』『臨池六十年』などがある。
 1971年(昭和46年)12月16日、歿する。79歳。
 私は大学卒業後、しばらくの間、財団法人書海社に勤務し、直接ご指導を賜った。


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