間中 雲帆 まなか うんはん
   

雲盡碧天清
風生船遂亂
山遮不見人
斜陽暉沙岸
雲尽きて 碧天清し
風生じて 船遂いに乱れる
山遮ぎって 人を見ず
斜陽 暉沙の岸
33.2p×137.5p

文政元年(1818)生〜明治26年(1893)1月12日歿
 漢詩人。下総猿島郡(現 茨城県)出身。名は宜之、字は禎卿、雲帆と号し、別号に雲?。朝川善庵・大沼枕山の門に学ぶ。
 嘉永6年(1853) 江戸谷中臨江寺蒲生君平の墓に隣接し、高山彦九郎の墓を建てようとするが幕吏の猜を恐れ断念する。
 維新後は東京府・長野県などに勤めた。
 「老帆」の下に、白文の「間中宜之」、朱文の「雲帆生」の落款印が押されている。

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