藤沢 黄鵠 ふじさわ こうこく
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忍と和は斉家(=一家を整え治めること)の上策なり 勤と倹は創業(=新しく事業を始めること)の良図(=優れた計画)なり |
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133p×28p |
明治7年(1874)生〜大正13年(1924)9月歿 |
藤沢南岳の長男。名は元、字は士亭。通称元造、別号笑狂・霜辛雪苦斎。 大阪唐物町生まれ。幼少から父に家学を授かり、東京に出て小山春山らに経学と詩文を学んだ。明治31年中国に留学、一旦帰国するが同34年再び渡り名士と交流して大いに得るところがあった。同36年29歳で家督を継ぎ、「泊園書院」で子弟に教授、同41年衆議院議員となるも、桂内閣の外交政策を論難して物議をかもし辞職した。 以後は教育一筋、府立高等医学校教授の任も兼ねる。漢詩の才能は父に優るともいわれる。国定教科書に出る南北朝正閏論で斬新な学説を展開、大いに世論を沸かせたことがある。 「黄鵠」の下に、白文の「元字士亭」、朱文の「黄鵠」の落款印が押されている。 推奨サイト http://www.morikinseki.com/kankei/s_jugaku.htm http://www12.plala.or.jp/HOUJI/bunkajin-haka/newpage383.htm http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_1cea.html http://www.kansai-u.ac.jp/Tozaiken/outline.htm http://www.lib.yamaguchi-u.ac.jp/lib-nws/ln04/ln01-1.html |