山内 香溪 やまうち こうけい
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琅玕(=美しい竹) 尺を盈(みた)さず 翠影 自から亭々(=まっすぐ高く伸びる) 高節 何ぞ曽(すなわ)ち改め 四時(=一年中) 一様に青し |
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140p×49.4p |
天保12年(1841)生〜大正12年(1923)歿 製作年 明治15年(1882) 42歳 |
会津藩士。書家。幼名数馬、名は昇、字は子龍、香溪・破研斎と号した。鳥居栄五郎の三男。上京して山内香雪にその才を認められ、養嗣子・香雪の後継者となる。 香溪は経学にも通じ、戊辰の時には江戸に残って諸藩の間を奔走、10月4日(旧暦:8月19日)品川沖から箱館に向かう途中、銚子沖で船が沈没、もと老中間部詮勝のもとに潜居中捕えられる。その獄中での文詩が飯盛山に「思い出の碑」として1917年(大正6年)建てられた。 和漢の妙跡を研究し、また上代仮名も究めた。大正12年(1923)歿、84才。墓は東京港区三田の薬王寺にある。 引首印は白文の「香溪」、「香溪書」の下に、白文回文の「山昇之印」、朱文の「字子龍」の落款印が押されている。 |