寺西 乾山 てらにし けんざん
   

居似鷦鷯安一棲
煙霞痼疾爲難醫
竹扉丈室○容○
楫我山皆是舊知
録新居偶成之一 燕翁年六十八
居は鷦鷯に似て 一棲に安んずる
煙霞痼疾 為に医難し
竹扉丈室(=一丈四方の狭い部屋) ○容○
我 山の皆を楫める 是れ旧知(=昔なじみ)
録新居偶成之一 燕翁年六十八(=昭和2年)
鷦鷯巣於深林過一枝
 鷦鷯(みそさざい=たくみどり)は深林に巣を作るが、巣に必要な枝は一本にすぎない。
 人は各々その分に安んずべきであるというたとえ。(『荘子』逍遙遊)
煙霞の痼疾
 自然を愛し、その様な所に旅する習癖
150p×38.5p

万延元年(1860)生〜昭和20年(1945)歿
制作年 昭和2年(1927) 68歳
 漢学者・篆刻家。名は彭、号を乾山・燕翁・紫芝山人・得応居士などと称し、尾張藩医青木頼山の次男で、美濃の瑞龍寺に参禅して仏学を修めた。明治15年、寺西易堂に就いて漢学詩文を修め、寺西家を継ぐ。
 明治21年、妙心寺派中学林教師を嘱託せられて以来、明治29年に妙心寺派普通学林教授に就任、明治44年に臨済宗大学教授を嘱せられ、昭和11年に教授、講師等の職を辞任するまで、およそ40余年間、妙心寺派の子弟の薫育に一生を捧げた。明治43年、独力で私立花園専修学院を設立、禅門子弟の儒仏二典による教育を実施した。
 漢学者にして篆刻家であり、書も一家を成している。
 「燕翁年六十八」の下に、白文の「○○山房」、同じく白文の「寺西彭印」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-1390.html
http://tsk1225.exblog.jp/3612504/


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