木村 兼葭堂 きむら けんかどう
   

○○不慱眞聖貴
梅花図
○○ 慱(=嘆き悲し)まず 真に聖貴
   
最大52.5p

元文元年(1736)生〜享和2年(1802)歿
 大坂の知の巨人と言われた博学多才な文人、博物学者、本草学者、蔵書家、コレクター。大坂北堀江瓶橋北詰の造り酒屋と仕舞多屋(家賃と酒株の貸付)を兼ねる商家の長子として生まれる。名は孔恭(孔龔)、幼名は太吉郎(多吉郎)、字を世肅、号は蒹葭堂の他に、巽斎(遜斎)、通称 坪井屋(壺井屋)吉右衛門。
 幼い頃から絵画や文学が好きで、池大雅に山水を学び、11歳で片山北海の「混沌社」に入塾した。また、本草学の第一人者小野蘭山の門下生になり、この世界でも一流の学者として評価されている。
 兼葭堂は豊かな財力によって、奇書・珍籍・書画・骨董を蒐集したため、彼の邸宅は図書館、博物館、資料館を兼ね、彼の温厚な人柄もあって、全国の文人・学者が彼のもとを訪れ、文化面での一大サロンとなった。 交友の記録『兼葭堂日記』は当時の文人、学者の動向を知る貴重な資料となっている。他に著書は『本草綱目解』、『奇貝図譜』、『日本山海名産圖會』、『銅器由来私考』、『巽斎詩集』など多数。
署名はなく、朱文小判の「巽斎」、同じく朱文の「蒹葭堂」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E5%85%BC%E8%91%AD%E5%A0%82
http://www.geocities.jp/okeya_since1990/newpage27.htm
http://fine-vn.com/cat_20/ent_14.html
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/karameishozu/top.html
http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2001/1-1.html


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