森谷 金峯 かなもり きんぽう
   

陰抱禍心機略頻
環球何日得和親
東方君子儼乎在
燮理乾坤是此人
陰抱く禍心(=人を陥れる心) 機略(=謀)(しきり)なり
何日にか球を環らし 和親を得る
東方の君子 儼乎(=厳かに)在り
燮理(=和らぎ治める)乾坤(=天地) 是れ此の人
138cm×33.5cm

安政5年(1858)生〜昭和18年(1943)歿
制作年 昭和9年(1934) 77歳
 備前岡山の人。名は伝三郎、字は敬之、金峯と号した。
 岡山県師範学校を卒業。山陽を中心に活躍した書家にして漢詩人で、岡山県高等女学校・岡山師範女学校で教鞭をとった。
 書は磯山天香の影響を受ける。日下部鳴鶴・巌谷一六・前田黙鳳らの書家と交流をもった。岡山書画会を創設し、約20年間も幹事長を務めた。
 「七十七翁金峯書」の下に、白文の「森谷敬之」、朱文の「金峯」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/kuzukago/kangakumeiji.html
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-983.html


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