韓 天壽 かん てんじゅ
   

庾滿書奩晋不収
却縁自不信雙眸
(くら) 書奩(はこ)満ちて 収まらずを晋(すす)
自ら縁を却(しりぞけ)るや不(いなや) 双眸(=瞳)を信ずる
131.5p×11p

享保12年(1727)生〜寛政7年(1795)歿 
 姓は中川氏、名は天壽、字は大年、通称長四郎、醉晋齋または三岳と号した。韓国餘璋王の末斎であるので、韓天壽と称したという。また「天壽」は「タカカズ」と読んだというが、今日では「テンジュ」で通っている。本姓は細野氏、出でて中川氏を嗣いだ。
 伊勢松坂の人で、少時神童と称せられ、長じて江戸に出で、松下烏石について文徴明風の書法を学んだ。のち澤田東江の言によって二王を研究し、書名は大いに揚った。池大雅・高芙蓉と三人相携えて富士、立山、白山の三山に登り、三人ともに三岳道者と称した。また水墨画を能くし、かたわら篆刻をも試み、双鉤にも巧みであった。
 古帖癖があり、名法帖を多く蔵し、それを模刻した。これを酔晋齋法帖という。寛政7年3月23日年69歳で没した。伊勢松坂清光寺に葬った。京都東山の通妙寺に酔晋齋故紙塚がある。
 「韓天壽」の下に白文回文の「韓天壽印」、朱文の「醉晋齋徒」の落款印が押されている。

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http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-807.html
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