亀谷 省軒 かめたに せいけん
   

山峻迫宵漢
水寒涵夕暉
湖心老鯉在
早晩化龍飛
山峻(たか)く 宵漢(=遙かな大空)に迫る
水寒く 夕暉(=夕日)(ひた)
湖心(=湖の中心) 老鯉在り
早晩(=遅かれ早かれ) 竜飛(=竜が飛ぶ)と化す
135.0p×37.3p

天保9年(1838)生〜大正2年(1913)1月30日歿
 本姓は藤原、名は行、字は子省・子茂、通称は行蔵、省軒・捜奇窟・潜龍窟などと号した。斎号は惜陰書屋・花の屋。対馬厳原(長崎県)の人で、対馬府中藩士。父は亀谷種栄で龍井善六の次男種徳の嗣子。
 幼少時より学を好み、対馬藩の遊学禁止に対して、文久元年(1861)24歳の時、仮病をつかって家屋を弟に譲り、大坂に出て詩を広瀬旭荘に師事した。京攝の間を往来して、松林飯山と相識って尊王の志を培い、同3年豊後に至り、広瀬林外と親交を深めた。
 元治元年(1864)、村上仏山を訪れ、幕末騒擾の渦中にあって藤井藍田・橋本香坡・吉田松陰・北条小淞らを知り、王政復古を称え、一時、幕吏の手を逃れて肥前浜崎に潜居して私塾を開いた。
 維新後(1868)、岩倉具視の知遇を得て新政府の諸制度の制定に参画、文章を点検し、政府の機密にも参与した。この頃、経学を安井息軒に学んだ。
 明治2年大学教官補に就いたが、意見の相違で官を辞して私塾を開いた。が岩倉の覚えあって太政官小吏より修史庶務を経て記録長を歴任した。
 明治6年に退官し、「光風社」を設立して著作に専念し、「旧雨社」に入り文雅を楽しんだ。詩は黎庶昌の影響を受け、また蔵書家でもある。
 著書に『函山紀勝』『詠史楽府』『大磯竹枝坿淘綾漁唱』『省軒文稿』『省軒詩稿』『論文彙纂』『清言』『詠史百詩』『詩文要訣』『詩語精華』『修身児訓』『言行類編』『釈教文範』『論語管見』『孫子略解』等、多数ある。
 「省軒行」の下に、白文の「龜谷行印」、朱文の「字子省」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://www.ccv.ne.jp/home/tohou/sen5.htm
http://kotobank.jp/word/%E4%BA%80%E8%B0%B7%E7%9C%81%E8%BB%92
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-1034.html
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