橋本 海關 はしもと かいかん
   

春到梅邊第一風
春 梅辺に到る 第一風
138.5p×33p

嘉永5年(1852)7月生〜昭和10年(1935)歿 
 橋本關雪の父。名は徳、字は有則、海關と号し、別号は十八洋頭行吟者・金毛窟主人・一葦航主。明石藩士橋本文永の子として播州明石に生まれる。藩学景徳館に学び、旧明石藩に藩儒として仕えた。
 橋本家は代々剣道の師範を勤め、儒学を以って教育を施していた。海関は身の丈約180cm近い大男であったと伝えられるが、純粋な学者であり、文人であった。がその教養は海を越えて知られるほど深かったと言われている。弟子は日本全国に留まらず、外国人の弟子も多かったという。また、橋本家では、毎日のように政客や神戸の商館からの門客が多数集い、様々な議論を闘わせていたという。
 明治2年、17歳で藩校敬義館の句読方(漢文教師)に就任。明治10年、県師範学校等の教諭。また漢学漢詩の塾を開く。晩年は明石市忠度町(現 天文町2丁目)に居住し、郷土史研究にも精進した。
 詩を能くし、清人の梁震東に激賞された。書は市村機霧に学び、画も能くした。『一葦航唫』『朝鮮三古都詩』『明石名勝古事談』等、多くの著書がある。
 引首印は白文の「硯中田」、「海關」の下に、白文の「橋本徳印」、朱文の「有則氏」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-348.html


参考文献一覧      HOME