香川 景樹 かがわ かげき
   

題しらず
大はしの上 わたりゆく歩(ゆく)人の
ただよふ夏に成(なり)にける哉(かな)
景樹
5.5p×35.5p

明和5年4月10日(新暦1768年5月25日)生〜天保14年3月27日(新暦1843年4月26日)歿
 江戸後期の歌人・歌学者。初名は、純徳・景徳。通称は銀之助・真十郎・式部・長門介。号は桂園・東塢亭・梅月堂・観鶩亭・臨淵社・万水楼・一月楼。香川景柄の養子となり、離縁後も香川を名乗っている。清水定固に和歌を学び、上京して徳大寺家に出仕した。養父景柄を通じて小沢蘆庵に私淑し、その後「しらべの説」を提唱して独自の歌風を創始し桂園派と称されるようになった。
 同時に入手したメモに、「等々力不動尊の隣 石鹸工場 玉川信用組合理事長 千野要之助様より頂く 昭和拾四年頃」とある。千野要之助は、明治39年、産組役員協議会で加納久宣に継いで「産業組合中央銀行」の必要を説いたが、結局机上の案を出なかった、と『農林中央金庫史』にある。
また、『用賀の人力車』に、「日露戦争当時、玉川村信用組合創設者千野要之助が河野通玄と村内回診を始めたが、その都度人力車を利用した。」とある。
 署名のみで落款印は押していない。

推奨サイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E5%B7%9D%E6%99%AF%E6%A8%B9
http://kanko.pref.tottori.jp/site/page/kanko/guide1/like/bungaku/kagawakageki/mobile.html
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kageki.html
http://www.city.ikeda.osaka.jp/sisetu/rekisi/waka/wkeijyu.htm


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