杉原 夷山 すぎはら いざん
   

墨  竹
胸裏有成竹謾誇
落華之興来遊戯筆
非倣畫師風
甲子之春
  
胸裏に成す有り 竹の謾誇
落華の興来りて 戯筆に遊ぶ
師風の倣画に非ず
甲子(=大正13年)の春
137.1p×48p

明治10年(1877)生〜昭和19年(1944) 2月8日歿
制作年 大正13年(1924) 48歳
 福島県田島町(現在 南会津郡南会津町)の人。名は幸次郎、字は原子、号は初め三省、のち夷山、晩年は瑞翁、その居を黙成書院と称した。
 商家の次男だが、幼少より文才に優れ、苦学しながら陽明学を考究して金鶏学院で陽明学を講じ、次いで北海道に渡って漢学を教授したが、再び上京して私塾鶯谿舎を開いて漢学を教授し、その門下から加藤玉淵や橋本硯石らを輩出した。
 漢学者にして美術鑑定家で、郷土史研究にも情熱をもやした。彼の著述には古美術関係の『日本書画落款印譜』・『支那画家人名辞典』等の大著と、幕末維新の人物伝など32種の刊本の他、月刊誌『書画骨董』に寄せた多数の論考、南山義民や馬場翠園などの碑文、西町義勇団に寄せた「尚歯会序」や友人への序文など多少国粋主義的傾向があるものの、優れたものが多い。
 稿本には「田島雑記」・「炉辺聞話」・「田島年中行事」・「南山孝子伝」・「南山俳諧史稿」・「南山史談二」・「南山年代記」・「高倉以仁王考・西木戸塚考」・「会津名家落款譜」等がある。
 墨画も得意で、漢詩の讃のある墨竹は「夷山の竹」と称せられ、地元以外に東京・札幌で頒布会・書画鑑定会が催された。
 彼の蔵書癖はつとに有名で、これにまつわる逸話も残されているが、没後田島中学校に寄贈された数千冊と、その後寄贈されたもの、散逸したものを含めると膨大な量であり、これが彼の博識を支えていた。
  遊印は白文の「門無俗客竹深(門に俗(人)の客無く竹深し」、引首印は朱文の「偃武修文(武を偃め文を修む=武器を伏せて戦いをやめ、文徳によって平和な世の中を築く。『書経』の句)」、「夷山人併題」の下に、白文の「杉原幸印」、朱文の「夷山」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://kambun.jp/writers/sugihara-izan.htm
http://www.gunyakusho.ecnet.jp/7408.html?*session*id*key*=*session*id*val*
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-1903.html


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