石川 柳城 いしかわ りゅうじょう
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白籏 吹き払う 落花の塵 一面の東風 百戦の身 韜畧(=先方)緒(=いとぐち)余して 詞藻(=文章を飾る言葉)富む 鉄騎(=勇敢な騎兵)吟じ過勿ぎる 勿来(=勿来の関)の春 |
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136.8p×41.7p |
弘化4年(1847)10月生〜昭和2年11月17日(新暦 1927年12月10日)歿 |
本姓は伊東、名は戈足、字は子淵、通称金三郎のち孝蔵、柳城と号した。尾張(名古屋市)の人で、生地で中野水竹、吉田稼雲につき、京都で文人画を学ぶ。京都に出て日根野対山・中西耕石らと交わり、また明治29年から5年以上台湾から南中国を歴遊して研鑽をつんだ。帰国後日本南宗画会を結成、その幹事を務める。明治42年に東京から名古屋に移住、中央南宗画会の再興に当たり幹事を務めた。南画の泰斗としてその名を知られ、詩や書も良くした。 引首印は「茂松清泉山中不正」、「柳城七十九翁老舊作」の下に、白文の「柳城居士」、朱文の「石戈足字子淵」の落款印が押されている。 推奨サイト http://kotobank.jp/word/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E6%9F%B3%E5%9F%8E http://www.shibunkaku.co.jp/biography/search_biography_aiu.php?key=i&s=140 http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-1014.html http://www.shogaya.com/html/ishikawa-ryujo71.htm |