石橋 雲来 いしばし うんらい
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玉潔氷清 心 自持(=自分の信念) 花を写し時に収め 胴脂を弄ぶ 江山即ち遍り 已に鞋跡 之(ゆく)を斥(こば)む 生涯筆一枝 |
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氷清玉潔=氷のように清く、玉のようにいさぎよい。徳や行いが清く潔白なこと。〔晋書・賀循〕 | |||
66.8p×31.5p |
弘化3年(1846)4月生〜大正3年(1914)7月歿 |
名は教、増官ともいい、雲来と号した。兵庫県揖保郡竜野町、竜野藩石橋定右衛門の次男。播磨の生まれ。大阪市北区曽根崎中1丁目に住み、晩年は明石市の江井ヶ島に住んだ。漢詩塾「雲来社」を主催。 明治15年から40年まで、各地を遊歴し、森琴石他多くの文人画家・墨客と交遊した。 著書に『雲来詩』『雲来吟交詩』『友蘭詩』など多数の詩集を編纂した。 引首印は朱文の「任去留(=自然の成り行きにまかせる)」、「雲来仙史」の下に、白文の「石橋教印」、朱文の「雲来」の落款印が押されている。 推奨サイト http://www.morikinseki.com/chousa/h1703.htm http://kotobank.jp/word/%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E9%9B%B2%E6%9D%A5 |