井上 円了 いのうえ えんりょう
   

隠逸林中無栄辱
道義路上無炎涼
隠逸林中 栄辱なく
道義路上 炎涼なし    (『菜根譚』後集27項)
132p×32.8p

安政5年2月4日(新暦 1858年3月18日)生〜大正8年(1919)6月6日歿
 越後長岡藩(現 新潟県長岡市)にある真宗大谷派の慈光寺の長男として生まれる。父は円悟、母はイク。
 幼名は岸丸、のち得度して円了と改めた。号は甫水・拙筆。
 10歳から石黒忠悳のもとで漢学を学び、16歳で長岡洋学校(新潟学校第一分校)で洋学を学ぶ。明治10年(1877)、京都・東本願寺の教師学校に入学。翌明治11年、東本願寺の留学生として上京し、明治14年に東京大学文学部哲学科に入学。その後東京大学に入学し、文学部哲学科に進んだ。
 明治18年(1885)に卒業し、著述活動を開始する。中野にみずからが建設した哲学堂(現 中野区立哲学堂公園)を拠点として、全国を講演してまわる。
 教育界においても「欧化主義」「実学主義」がもてはやされた明治という時代に、「諸学の基礎は哲学にあり」という教育理念のもと明治20年(1887)に哲学館を創立し、これは哲学館大学を経て東洋大学となった。
 遊説先の満州大連において62歳で急死するまで、哲学や宗教についての知識をつたえるとともに、迷信を打破する立場から妖怪を研究し『妖怪学講義』などを著した。「お化け博士」、「妖怪博士」などと呼ばれた。
 引首印は「明治四十年歳在丁未」、「円了道人」の下に、白文の「井上甫水」、朱文の「別號拙筆」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E5%86%86%E4%BA%86
http://www.city.nagaoka.niigata.jp/kankou/rekishi/ijin/i-enryo.html
http://www.toyo.ac.jp/museum/


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