広橋 研堂 ひろはしけんどう
   

正是春光最盛時
桃花枝映李花枝
鞦韆日暮人歸盡
只有東風弄彩旗
正に是れ春光 最盛の時
桃花枝 映ず 李花枝
鞦韆(ブランコ)日暮 人帰り尽き
只だ有り 東風 彩旗を弄ぶ
135p×50p

 新潟県佐渡郡小木町に生れる。本名は足穂、研堂・鉄膝・中軒と号す。日下部鶴鳴の影響を受ける。
 新潟師範学校・新潟中学・新潟高等女学校などで教鞭をとり、明治から大正期の新潟県下の書道教育に、大きな進展の力となった。後年、東京府立第六高等女学校の教諭を務め、北辰学館を創設、習字教科書の刊行など、幅広い活躍をした。
 「研堂生書」の下に、白文の「廣橋足穂」、朱文の「研堂孝人」の落款印が押されている。


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