林 羅山 はやし らざん
   

醫者正堅子柔賦六言

一絶寄。余且以其所詠數詩。同書以丐。雌黄其格進於曩時不已。則前程豈可測乎。因和其韻。而贈焉。聊有所感。遇于此云。

名在儒毉可穪
子今早学倉和
豢龍勝屠龍技
進士猶聞擧軻

世上同流合汗
柰何似展禽和
道之不行誰罪
車馬迷而轗軻

不山林不朝市
欲潔唯傷性和
人僉云歸栗山
世無識慕荊軻

己未仲秋 羅浮子稿
 医者正堅子柔=三宅擔庵 万治2年(1659)歿。桑名藩儒臣。近江生。名は正堅、字は子柔、擔庵と号す。堀正意(林羅山門)に学ぶ。

 一絶寄せる。余且に以って其所を数詩詠ず。同じく書を以って丐(=与)える。雌黄(詩文の語句を改めること)其の格(きまり)を進め、曩時(=先頃)に於いても已(や)まず。則ち前程(=将来)豈に測らんや。因って「和」其の韻とし、而して贈る。聊さか所感有り。遇(たまたま)(ここ)に云う。

 名在り 儒毉(=医)と称す可(べし)
 子今 早くも倉する(しまいこむ)を学ぶ。
 豢(養われた)龍 屠龍技(龍を殺す技=巧みではあるが実際の役に立たない技の例)に勝る。
 進士 猶お聞く 軻(=孟子)を挙げるを。

 世上(世の中)の同流は 汗を合わす。
 柰何(どうして)(とりこにする)を展べる似(ごとし)
 道之(=道士) 行なわざる 誰の罪ぞ。
 車馬迷い 而(しこう)して轗軻(車の行き悩む様=物事が思うようにならない様。人の不運など)

 山林にあらず朝市にあらず。
 欲潔を欲し 唯 性(さが)を傷す。
 人僉(みな)云う 栗山に帰ると。世 識(物事の是非)無く 荊軻(戦国斉り刺客 慶郷(=荊卿)。燕の太子 円の命令で秦の始皇帝を暗殺しようとして失敗、殺された)を慕う。

 己未仲秋=元和5年(1619) 37歳
30p×68p

天正11年(1583年)生〜明暦3年1月23日(1657年3月7日)歿
 江戸前期の漢学者(朱子学派)。名は忠・信勝、通称は又三郎、のち剃髪して道春、字は子信、別号は羅浮山・浮山・羅洞・長胡・瓢庵・尊経堂・梅花村・夕顔庵。

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