亀井 幻庵 かめい げんあん
   

仁義禮智
仁義礼智
31.3p×27.8p

東林日出有雲開
寂寞隠栖春復來
貧見梅花如白雪
自忘須髪白於櫻
東林より日出で 雲開有り
寂寞(=ものさびしく、ひっそりと)隠栖(=煩わしい俗世から隠れて静かに暮らす) 春復た来る
貧しく見る梅花 白雪の如し
自ら忘れる 須(すべから)く 髪 桜の於く白きを
31.3p×26.5p

寛延3年(1750)生〜文化13年(1816)歿
 幻庵は亀井南冥の弟、寛延三年七月朔日早良郡姪の浜に生る。南冥より七歳若し、名は弘、字は毅卿、出家して諱は宗嘩、字は曇栄、幻庵、禅月、龍華、松涛とも号す。
 父兄と共に家庭で若い時、若拙其の他父の講筵に侍り勉学す。十二歳兄南冥に従って、初めて肥前の甘露寺、古学派(徂徠派)の僧大潮に謁す。帰途佐賀多久の僧知雲に詩を学ぷ。二十三歳東遊し武蔵国東海寺に入り仏学を修む。また上洛して相国寺学僧大僧顕常に学ぴ外諸禅師にも学ぷ。学成り帰って福岡崇福寺八十六世徳隠宗薩和尚の法を嗣ぎ八十七世の住持となる。行状謹厳にして学徳高く、詩文青画を能くす。画を伊勢の僧月仙につきて学び妙手となる。仙高ニ同年にして親交厚し、亀井五亀の一人で詩才南冥以上とも云われ頼山陽も畏敬したと伝う。書も亀井随一と云わる。四十余歳隠退して、博多妙楽寺内永寿院に栖めり。文化十三年八月十八日寂す年六十七、禅月楼詩集、雲水詩集、玄谷集の著あり。墓は福岡箱崎崇福寺にあるも文字は風化して見えず。(『郷土先賢詩書画集』より転載)
 朱文の「幻庵」の落款印がおされている。
 「幻庵」の下に、白文の「宗嘩」、同じの白文の「幻庵」の落款印が押されている。


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