林 學齋 はやし がくさい
   

浮嵐焌翠曉暾温
踏遍花邊柳外邨
身在今程少公事
評紅品緑亦君恩
浮嵐(=立ちこめる靄)焌翠(=緑に映える山) 暁暾(=朝日)温かし
遍く花辺を踏む 柳外の邨
身は在り今程 公事(=公務)少なし
紅を評し 緑を品するもまた 君が恩なり
132.4p×53.5p

天保4年10月1日(新暦 1833年11月12日)生〜明治39年(1906)7月14日歿
 江戸時代末期の儒学者。林大学頭家12代当主。諱は昇、字は平仲、学斎と号し、諡号は文靖。父は大学頭林復斎。兄に林鶯渓がいる。子がいなかったために、林羅山以来の林家の家系は、学斎をもって断絶する。
 安政6年(1859年)、父の死によって大学頭を継承する。
 大政奉還後は寺社奉行の職務を扱ったが、徳川宗家の静岡藩移封に同行して徳川家の用人となる。明治7年(1874年)に東京に戻り、司法省明法権大属に任じられる。その後は教育の世界に戻り、明治10年(1877) 群馬県師範学校教諭、明治14年(1881)に群馬県女学校校長を務めた。明治21年(1888) 日光東照宮主典となり、後に禰宜を務めた。明治33年(1900) 病気のために隠退して旧領の埼玉県大幡村で余生を過ごした。
 詩文を善くした。著作に『学斎遺稿』がある。
 引首印は白文の「嘯風弄月(天地自然の風物を友として、詩歌・風流を楽しむ)」、「學齋」の下に、白文の「林昇字平仲號學齋印」、朱文の「羅山後裔」の落款印が押されている。

推奨サイト
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