伏原 宣足 ふしはら のぶたる
   

知足以自誡
足るを知り以て自ら誡む (唐 魏徴の句)
121.8p×32.8p

弘化2年5月27日(新暦 1845年7月1日)生〜昭和5年(1930)歿
 伏原葭沼は京都の半家の公家で、名は宣足、号を葭沼と称し、儒道明経道を家業とした伏原家の第九代当主。伏原宣諭の長男。侍従、太政官御用掛などをつとめ、賀茂別雷神社宮司兼賀茂御祖神社宮司となる。
 貴族院議員の子爵。伏原家は、本姓清原氏で船橋家の庶流で、船橋秀賢の次男賢忠(1602〜1666)が、伏原家の初代。
 「従二位子爵宣足」の下に、白文の「伏原宣足」、朱文の「葭沼」の落款印が押されている。

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箱書きは大川平三郎


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