關 思恭 せき しきょう
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松無古今色 竹有上下節 (禅林句集) |
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88.3p×23.5p×2 |
元禄10年(1697)生〜明和2年(1765)歿 |
江戸中期の書家。江戸生。字は子粛、通称は源内、鳳岡と号し、墨指生、恭黙齋の別号がある。水戸藩士伊藤祐宗の四男で、故あって関氏と改めた。 幼より英才で、経史を太宰春台に学び、書を細井広沢について学んだ。27歳で常陸土浦藩に右筆として仕えたが、ほどなく致仕し、小石川に塾を開いて子弟に書を教授した。のち御徒町に移った。 思恭は広沢門の秀才で、もっとも草書がうまく、時に草聖と称せられた。その門生も多く、五千余人に及んだといわれる。 宝暦11年(1761)65歳の頃から病み、歩行が不自由となり、明和2年12月29日69歳で歿した。小石川の称名寺に葬られた。その養子其寧、家業を継ぎ、その子が克明で、克明の子が思亮、思亮の子が雪江と関氏五世、江戸で書名を轟かした。 「關思恭」の下に、白文回文の「關思恭印」、朱文の「本姓伊藤」の落款印が押されている。 推奨サイト http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-470.html |